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2013.12.21 Saturday 〜待つ人、待たせる人〜

 そういえば最近あまり言ってないな、と気づいたあの一言。

 「ちょっとまって」

 息子が2歳ぐらいの頃にはパンツはかせる、ボタンとめる、ウンチ出たコール、タオル取って……もう何から何まで「ちょっとまって」で、もう一生分の「ちょっとまって」を言い尽くしたんじゃないかと思うほど連発していた。本当はこっちももっと体勢ととのえて臨まんとアカンのやろうなーとか、まず家事とか中断して子供優先した方がいいのかなーとか反省&逡巡の日々だったのだけど、本当に気がつけば近頃発してない。

 息子も成長して、自分で出来ることが増えてきたのが大きい。あるいは「あ、今呼んでも無駄やなコレ」と気づいていることもあるかもしれない。そういえば最近はむしろ大人が待つことの方が圧倒的に増えたように思う。自分で出来ると言ってもまだまだ4歳。上手でもないし時間もかかれば失敗もする。手を貸すのは簡単だけどそこでぐっと堪える忍耐力が試される。そうかと思うと「先に出てるねー!」と玄関を飛び出して(路地裏なので危険はないけど)いってしまうのでなかなかに油断ならない。

 こうやって気がつけば細かなところで生活の端々が変わってゆくのだなぁ。何しろ、いつも相手を「待たせて」いた人が、いつの間にか「待つ」側に回っているのだ。表向きの基本的な生活のサイクルはこの2年弱、ほとんど変わってないのにね。こういう変化はできるだけ気づいて楽しめる余裕を持てたらな、と思う。

2013.12.20 Friday 〜4歳児とUNOをやってみた〜



先日からおもちゃ屋へ行くたびに「オセロ」が気になっている息子。オセロなら確か家に小型版があったなと思って探してみたのだけど、ちょっとすぐには見つからない感じで、代わりに出てきたのが「UNO」。懐かしい。高校時代に御所で昼休みによくやったやった。

で、改めて見てみるとこのUNOというカードゲームはなんかカラフルでレゴっぽいし、数字が大きく書いてあるしで、ひょっとしてイケんじゃね?的なノリで息子を誘ってみた。思えばこういう対戦型の遊びは初めてなのだ。ヒーローにもハマってないので「ごっこ」ですら勝負ごとをやったことがなかったり。

さすがに普通のルールでは複雑すぎるので、基本的なルールを理解させるために極限までルールをシンプルにする。

1.「Drow Two」や「Wild」などの攻撃系・制御系カードは使用しない。色と数字のみで勝負。
2.各自の手札はオープンにして自分の前に並べる。

結果から言うと激ハマリ。当初「手持ちがなくなれば勝ち」という勝利条件にピンと来ないんじゃないかと危惧していた。というのも、プラレールでもレゴでも、とにかくたくさんつなげたり、大きく複雑な物を作るのが「すごい!」という感覚でいるものだから、あのカラフルでかわいいカードをどんどん手元から手放していくことが「よいこと(=勝ち)」というルールに馴染めるのかな?と。意外にもそこはスンナリ受け入れていたみたいだけど、困ったことにターン制という根本が分かっておらず、とにかく好き勝手なタイミングでカードを出したがるのに難儀した。何度も「じゅんばんこ」を言い聞かせる。

本日で、始めてから5日。昨日あたりからこちらの手札を見つつ、私が出せないように計算して勝負を仕掛けてくるようになってきてなかなか油断できない。青、青、青と来て私の手元から青がなくなると、自分はまだ青を持っている癖に突然黄色に変えてきやがる。これ、早晩手札のオープンはやめにしても良いように思うのだけど、いかんせん息子はカードを扇形に広げて持つというような器用なマネが出来ない。どうしたものか。Eカードみたいなスタンドが欲しくなる。

しかしまァ、サンタにはプラレールの洗車場と跨線橋を頼んでいたので(渋い……)、来週にはまた電車が居間を席巻することになるのだろう。

2013.11.23 Saturday 〜Flickrでセルフイメ検〜

 2001年、PHSに外付けのカメラを付けられるようになってから、デジタルでの撮影がメインの写真たち。色んな出来事が詰まっているものなので、やっぱり消えてしまうと辛い。バックアップは外付けHDDとポータブルHDDの二箇所に取っているのですが、自宅外にも退避させておきたいなぁと思い、時系列に沿ってチマチマとFlickrへとアップ中。ほぼ全ての写真に鍵をかけてほぼ個人アルバムのように使っています。現在、2007年までアップ済で、この頃はコミケごとにサークル参加したり結婚する前の妻ととにかくあちこち出かけていたりと、色々思い出されますな。

閲覧はiPhone&iPadの「FlickStackr」を使用。iPhone標準のカメラロールのようにパラパラ見ていけるのがお手軽。

でも、すでに7年分の写真となると、ピンポイントで見たい写真を見つけるのは結構大変。一応年月ごとのセットは作っているので「何年の何月」という記憶があればどうにかなりそうだけど、まったく手がかりがないと困る。先日も「まだ独身の頃のある日、友人宅へ行ったら自作のキャスター付の台にスキャナーを乗せて普段は机の下に格納してあったなぁ、あれ作りたいんだけど写真、いつごろだっけ?」というシチュエーションに遭遇しまして、探し出すのに結構骨が折れました。

ほんで、せっかくこうやって記録がたまってきてるのだから、単に思い出として眺めるだけでなく、もうちょっとデータベース的に活用できんもんかな、と思ってとりあえずタグ付けを始めてみたところです。さっきの例で言うと、当該の写真には「友人」のタグを付けておきました。このように時間軸に沿って整理された「セット」という縦軸と、すべての時系を横断して検索できる横軸としての「タグ」を併用することで、言った場所・食べたもの・一緒にいた人・買った物がパッと出てくるんではなかろうかと。



ちなみに「食事」というタグも作っていて、そこから引っ張ってくるとこんな風に食べたものが外食・自炊問わずズラズラーっと出てくる。これが結構圧巻。くそ、独身時代のランチはエエもん食ってんなぁ。「◯◯を買ったのはいつごろだっけ?」という時は「買物」タグで引っ張ってきて日付を参照すれば良い。めっちゃ便利!

ちょっと前に「Flickrはなぜオワコンか」みたいな記事をどこかで読んだんだけど、なかなかどうして、私ん中ではまだまだ現役っすよ。
   

2013.11.21 Thursday 〜『100の悩みに100のデザイン』読了〜

「デザインとは思いやりである」

このフレーズは以前より知っていた。というのも、著者の南雲氏は私の知人の恩師にあたる方のようで、知人もたまにそのフレーズを口にしていたからなのだが、さてさてその意味するところは?

私自身がデザインを仕事にしていて感じるのだけど、デザイナーを何かものすごく特殊な能力を備えた偉大な変人だと思っている人が割といるように感じる。それは例えば次のようなセリフで形として現れる。

「キミのセンスに任せるからとりあえずエエ感じにやっといて!」
「やっぱり芸術家肌の人は変わってるわぁ」

そのたびに何となく違和感を覚えていたのだけど、最近になってデザインというのは芸術というよりは言語に近いものなのだろうという認識を持つに至り、その違和感も私の中で一応の決着がついた。よく言われる「デザイナーと芸術家の違い」なんだけど、デザイナーの仕事というのは売り手と買い手の間をとりもつ通訳のようなものなのだ。だからデザインには明文化出来る出来ないに関わらず必ずルールがありロジックがある。例えば文字の色やサイズ、写真やイラストのテイスト、物自体の材質や形状それぞれにきちんと意味があり、ひとつひとつの要素のはたらきが組み合わさってひとつの製品となる。これってものすごく言語的である。単語が集まってセンテンスになり、更にそれらがひとつの流れとなって文章を構成するように。

「デザインって言語なんだ!デザイナーは「デザイン」という言語を専門にする翻訳家なんだ!」

 えーすみません、ここまでが本書を読むまでのの私の脳内。でまァ、それで一応納得できたのでそれ以上のことはあまり深く考えていなかったのだけど、本書ではなぜそのような存在(デザインというもの)が必要なのかという疑問に、実にシンプルな回答を提示してくれている。曰く「問題を解決するため」。

デザイナーは問題を解決するための計画を立てる人のことなのです。

<本書 はじめに より>


ババーン!そうだったのか!

本書では日常生活で起こりうる比較的ありふれたと言える「集中力が続かない」だとか「今日着ていく服が決まらない」といったような悩みに対して、デザインの枠組みを使って解決法を提案している。タイトル通り「100の悩みに」答えているのだから恐れ入る。デザイナーとして実に様々な相手の様々な問題を解決してこられたのだろう。そして、問題を抱えた人に向かい合う者が真っ先に持ちあわせていなければならない物、それが思いやりなのだそうだ。おぉ、デザインと思いやりが繋がった!

相手の話をよく聞き、条件を整理し、柔軟な発想で問題の解決法を提案する。これが出来ればあなたも今日からデザイナー!

むむむ、精進せねば。

 

2013.11.16 Saturday 〜義父に照らされ灯台もとを歩く〜

関東より義父来京。貴重な機会である。遠方同士に住まう父娘・祖父孫が顔を合わせるための。そして京都に住む私が京都観光をするための。

いやホント言い尽くされてるけど地元の人ほど行かない社寺仏閣。それでも私は仕事柄+神社は割と好きという理由で下鴨神社や吉田神社はチョイチョイ家族で散歩に行ったりしている。あくまで散歩であって参拝がついでというバチアタリ。お寺は本当に縁がない。それに対して首都圏住まいで京都になんとなくホノカな憧れを抱く義父。ええ、そらもうブッチギリで義父のほうが詳しい京都の観光社寺。

本日はあまり遠方へ足を伸ばせない事情もあり、叡電で数駅の修学院をスタート。曼殊院〜詩仙堂コース。学生時代から叡電沿線はかなりアチコチうろついてきたけど例によって行ったことない私。紅葉の最盛期にはわずかに早かったようで、燃えるような赤にまでは至っていない。「来週だったなぁ」とやや残念そうな義父。でも緑や黄色や朱が入り交じってモザイク模様を映し出している今の時期も私は嫌いではないですよ。



 曼殊院を辞し、円光寺を経由して住宅街をクネクネと南下して詩仙堂へ向かう。さほど登ったという気はしなかったのだけど、ふと見ると麓あたりを一望できる。小ぶりな畑もいくつか点在しており、京都の中でもとりわけ左京区というのは実に色んな表情を持ち合わせた街なのだなぁということをしみじみ感じたのだった。

 妻は詩仙堂へは一度来たことがあったようで、ここの庭を殊の外気に入っていたらしい。私はここ最近はずっと何かに追われている感じがしていて寧ろ追われていないと何となくモヤモヤして空いた時間があるとすかさず何かブチ込んでしまう上に2時間以上1つの事をやり続けられないという、小学生のような暮らしを続けているので、たまにはこういう所で静かに心を落ち着けてみるべきなのかもしれない。尤も、小学生に大人のワビサビを解することが出来るのかどうかなどと思いつつ脇に目をやるとすでに実践している4歳児が。



 宿にチェックインする義父と一旦別れて帰宅。夕方再会して夕餉。その後、私と義父の二人で呑みに繰り出す。ありがたいことに義父にとってこの時間が「孫の顔を見る」「寺巡りをする」に並んで楽しみとしている「京都旅行3本柱」の1であるらしい。少し前までは自宅近辺で小じんまりとした飲み屋を見つけてはお連れしていたのだが、今回はもう先方リサーチ済・店舗指定なのである。千本中立売の神馬。いやーもうどっちが案内されてんだか。

 午前中の歩き疲れと、直前の夕食で割とお腹が一杯になっていたので、あまり色々のものをいただけなかったのが残念だったのだけど、お店の雰囲気は実に結構なもので、長い間こつこつと、静かにしかし力強く積み重ねてこられたであろう風格。もう少し元気な時にお腹すかせて再度行ってみたい店であった。アイシャルリターン。

 義父はホテルへ向かい、私は自宅へ。帰宅するとまだ22:30であった。普段ならまだ洗い物とか家計簿してる時間だ。そんな早い時間から酔っ払っていて俺ホントにいいの?となんだか後ろめたい気分におそわれるも、多分世間的にはこの時間が普通。

 あーしかし今回も京都のことを色々教わってしまった。

 

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